子供・子ども・こども [子どものこと]
早稲田大学 増山均名誉教授によると
「子ども」は、第1次世界大戦後の日本社会が子どもの捉え方を確認した言葉で、
子ども自身が生活の主体、権利の主体であり、社会の一員であるという権利思想を
こめたキーワードで、
「子供」は日本語として間違った表記ではないが、ここには親や国家や企業などが
求める型にはめられた子ども、与えられた子ども像に子どもをはめ込んでいくという意図と
イメージがある。
「こども」はあるがままの子どもの姿。
学童保育でもやんちゃ、いたずらや悪さ、泣き虫、意地悪、生真面目、子ども達のさまざまな
姿、こうした子ども本来の姿を「こども」として捉える。
最近、テレビのフリップを見ていても、これまで使っていた「子ども」表記が
「子供」になっているのを多く見る。
その理由が
2013年7月、当時の下村文部大臣が、公文書中の表記はすべて漢字の「子供」を
用いるようにと指示を出したことにあるようです。その直後、文科省管轄の
「放課後子ども教室」の表記が「放課後子供教室」に変わり、いま、漢字で「子供」と
表現することが、教育の分野からどんどん広がろうとしています。
型にはめられた「子供」ではなく、権利主体としての「子ども」そして、
あるがままの「こども」をどう大切にするかが問われています。
「子ども」は、第1次世界大戦後の日本社会が子どもの捉え方を確認した言葉で、
子ども自身が生活の主体、権利の主体であり、社会の一員であるという権利思想を
こめたキーワードで、
「子供」は日本語として間違った表記ではないが、ここには親や国家や企業などが
求める型にはめられた子ども、与えられた子ども像に子どもをはめ込んでいくという意図と
イメージがある。
「こども」はあるがままの子どもの姿。
学童保育でもやんちゃ、いたずらや悪さ、泣き虫、意地悪、生真面目、子ども達のさまざまな
姿、こうした子ども本来の姿を「こども」として捉える。
最近、テレビのフリップを見ていても、これまで使っていた「子ども」表記が
「子供」になっているのを多く見る。
その理由が
2013年7月、当時の下村文部大臣が、公文書中の表記はすべて漢字の「子供」を
用いるようにと指示を出したことにあるようです。その直後、文科省管轄の
「放課後子ども教室」の表記が「放課後子供教室」に変わり、いま、漢字で「子供」と
表現することが、教育の分野からどんどん広がろうとしています。
型にはめられた「子供」ではなく、権利主体としての「子ども」そして、
あるがままの「こども」をどう大切にするかが問われています。
2019-02-25 16:06
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